プーケット
バンコクから867キロ、インド洋に面する大きな島であるプーケットは唯一地域が区分されており豊かで華麗な歴史があります。アンダマン海の真珠として知られ、スズ
を使った製品からはプーケットの500年以上にも亘る時代の繁栄や莫大な富を感じさせます。今日ではタイの中でもメインの観光地となっています。
周辺は様々な海の生活に囲まれ、市内には有名なシノ・ポルトガル様式の建築物が並んでいます。美しい海岸と樹木に囲まれた丘の斜面など観光にとても魅力
のある場所です。約107,500ライの熱帯雨林の島であり、ここでの主な仕事は米作りです。平均して14,343バーツの収入があります。
地理
プーケットの70パーセントは山で覆われており、西の山脈は小さな分岐をしながら北から南へ延びています。529メートルの高さがあるマイタ・シップソンを境に
パトンとカトゥ
の地域に分かれています。主に中部から南部にかけての残りの30パーセントは低い平野となっています。カロンバンヤイやタジン、クロンタルア、クロンバンロンといった小さな
川はありますが大きな川は流れていません。
経済

1980年代の初期よりプーケットでの観光ビジネスは一番の収入源となっています。ホテル、レストラン、ツアー会社、土産物屋などが西海岸に多く並んでいます。
しかし一方では昔からのスズの採掘も行われています。また重要視されている農業では島内の大部分を占めゴムやココナッツ、カシューナッツ、パイナップルなど
を作っています。
エビの養殖は主に東と南の海岸で行われています。真珠の養殖もまた重要な経済を支える収入の一つです。プーケットの漁港はいつも賑わいを見せ、
特に魚は商品として経済に大きく貢献しています。製造業からの収入も多くあり、雇用の面では大きな要因ともなっています。大きなオフィスビルやホテル、
数百を超える不動産物件など大規模なプロジェクトから個人向けの家やアパートの建設なども進められています。
人口
1988年12月時点での人口は231,231人となっています。これはプーケットにて届け出を出している住人のみの数字です。経済の活発化により結果的に
は他から移り住んでいる人々も多くいます。一年を通してプーケットの人口の総計を見ると季節労働者の増減により変動があるのがわかります。
政府
島内は北にタラン、西にカトゥ、南にムアンと3つの地区に区分されています。タイ政府の体制は力のある中央の権力に頼っており、したがって地方の知事
らはその土地の長としてバンコクの内閣によって選出されています。プーケットのいくつかの町とパトンにはそれぞれの政府機関があり、市民から直接選ば
れた市長がいます。地方、地区、小さな地区でもそれぞれ選出が行われます。地方警察も政府の一部とされています。
気候
プーケットの気候は一年を通して吹く季節風によって変わってきますが、温かく湿った気候がほとんどです。季節は南西から季節風が吹く5月から10月の雨
季と北東から季節風が吹く11月から4月の乾季に分かれています。3月の一番暑い時期の平均気温が33.4度、1月の涼しい時期の夜には22度まで気
温が下がります。
歴史

プーケット島には長い歴史があり、西暦1025年にまで遡るとこの島の名前であるプーケットはタミル語の水晶の山という意味から伝えられてきたとされています。
しかしながら歴史上では、古い地図で目にするジャンク・セイロンという名が最も知られています。この名前はアレクサンドリアの地理学者であるプトレマイオスの
地理学がルーツとなっています。
プーケットは昔、インドと中国の貿易の中間地点として利用されていました。マレー半島に建てられたシヴィット帝国時代になると、島はタクア・タラン郡とし
てシービチャイとシータム帝国の一部となりました。スコータイの時代のあいだプーケットは現在のパンガー郡の一部とされていました。アユタヤ時代の16世紀に
入るとオランダ人が貿易所を設立しました。当時は島の北部と中央部をタイ人が統治していましたが、一方で南部と西部はスズの貿易のためにタイの王政との
権力分担関係の下に数々の西洋諸国によって支配されていました。
1767年、アユタヤ王朝がビルマに滅ばされた後のタイ王国の空白期間がビルマを撃退し国の建て直しをはかったタクシン王によって終わりを継げられました。
しかしながらビルマは攻撃の体勢を変えず、奴隷を引き連れ南部を攻めてきました。プーケットでは1785年3月13日、亡き統治者の妻であったジャンとその
妹のムック率いる軍が見事ビルマ軍を撃退し、高い名声を得る事となりました。
ラマ一世より高い評価を受け、二人の姉妹には貴族の称号であるタオテープ・カサットリーとタオテープ・シースーントーンが与えられました。19世紀には
中国からの移民がスズの鉱山で働き始めました。島の内陸部では中華系が大部分を占めるようになりましたが、海岸部の村々では依然として主にイスラム
系の漁民が暮らしていました。ラマ5世の時代になるとプーケットはモントン・プーケットと呼ばれ、スズの採掘をする場所として県の中枢となりました。1933年
には君主制から議会制へと変わり、プーケットは1つの県としてまとめられました。
ラジオ、テレビ、新聞、通信
プーケットではタイのテレビチャンネルと7局からのラジオを提供し、英語の衛星放送もあります。
The Late Show 夜11時から深夜2時 |
毎晩FM 89.現地のニュースや情報、ジャズ、ロック、クラシカル音楽電話:0 7621 3513, 0 7621 3532 |
FMX 夜10時から深夜2時 |
毎晩FM 96.75.全国的規模の電話討論集会、ロックとポップの音楽電話:0 7621 7449 |
Tourist Time 夕方6時から7時 |
日曜日のみFM 90.5.現地の出来事と音楽電話:(076) 215604. |
プーケットの公共電気通信のオフィスはプーケットタウンのパンガー通りにあり、CATによって運営されています。お問い合わせ番号は(076) 216861です。
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